仕事をスピーディーに一つ一つ片づけると定時に帰れます(研修生の場合)。
これまでの記事でも何回か大学と文科省の時間の流れの違いを書いていますが、今日は打ち合わせ時間の違いについて、やはり両者では大きな違いがあるので、その点について書いていきます。
今回の場合は、”会議”ではなく、あくまで打ち合わせについてです。
大学と文科省のスピードの違いは3~4倍速
まず、体感として私が所属する大学と文科省の打ち合わせ時間の違いは3~4倍速くらいです。
大学では、一つの資料を確定すること、あるいは、一つ二つの話題に1時間2時間かけることがザラにありますが、(酷いと1日かけて5時間もやったことがある)
文科省だと、多くは15分~30分程度です。
事項の重さにもよるかと思いますが、15分程度で済むことを大学では1時間くらいかけていたな、というのが実感です。これに関しては、民間時代と比べても、文科省のスピード感が世の中のスタンダードだと思います。
あと、大学の場合は、内容とは関係ない(重要ではない)表記の方法などで何度も修正指示が出ることもありませんか?実はそっちの方で時間が食われていたり。
文科省の場合、そんなことはまずありえないですね。重要なことを決め、打合せは1つのトピックでだいたい10分程度。
どんなに長くても社内の打ち合わせは30分程度という印象です。
打合せとは違う、”会議”でやっと1時間、といったところでしょうか。
とにかく大学はのんびりしている。別にそれ自体は悪いとまでは言いませんが、どうでもいいことに拘る人が多いので、それに周りが巻き込まれるのは悪いことです。
打ち合わせに時間がかかる原因として共通しているのは、自分目線の拘りが強い人がいることですね。
自分の経験、ルールなどに照らし合わせて、それに合致しないと、
はたから見たら大して変わらないこと、文章の字句に対してどうでもいい指摘や修正意見を出す。
言葉は悪いですが、本当にどうでもいい事に。
例えば、下さい → ください
ね?どうでもいいでしょう?
これ、下さい、と書く事で誰か困ります? 誰得? ですよね。(対外的に公文書として出すならともかく、社内の内部資料なのに。)
自分の拘りなんて要らないんです、必要なのは、他者目線、つまり相手につたわるか、なんです。
5/2のプレゼンの話でも書いてますが、
他者から見てどうなのか、わかりやすいのか、伝わるのか、修正は本当に必要なのか。
例えば資料というのは、企画や経緯、なんでもいいですが、「伝えるため」のツール、「手段」なんです。
自分の拘り、経験則への依存が強い人は、手段が目的化している傾向があります。
例えば、表記を整えることは、見やすくする手段てあるのに、それを揃えることが目的になっていたり、
他には、文章を整然とすることは読み手の理解を促す手段であるのにも関わらず、既に業界人なら分かる文章になっているのに、自分の拘りに沿った文章にすることであったり。
時間が無限にあるなら別にいいですよ。
ドラゴンボールの精神と時の部屋みたく、一年過ごしても外では1日しか経っていないなら、100歩譲って付き合ってもいいけど、
そうじゃない。
現実の時間は有限なんです。
勤務時間8時間の間にやるべきことを終わして、終業後は家族と過ごしたり、育児をしたり、ペットの世話をしたり、デートや飲みに行く予定があるんですよ。
昔ながらの働き方というとあまりにも大括り過ぎますが、いくらでも働けると思って自分の拘りを押し付け、無自覚に周りの時間を奪っている人はどこの職場にもいますよね。
大学だとところどころにこのような人がいますが、文科省や民間時代はいないですね。
そんな人に好かれても意味ないので、むしろ好かれたら余計に構われて時間取られるから、嫌われてもいいからさっさと切りしましょう。
最初打合せを切るときはドキドキしますが、そうやって早く帰った日には、もう気分最高です!
そのうち、無駄に打ち合わせしたくない人、とおもわれたら勝ちです。
とはいえ、時々ならいいですよ
もちろん、ダラッとした打合せによって、互いに好感が生まれ、その後のコミュニケーションが円滑になる、ということもあるとは思うので、全否定まではしませんが、基本的には打合せはスピーディーに、という意識を持ちましょうということで。
今日は以上です。
ちなみに、前半で書いた、誰得?目線で考えると、身の回りの業務の無駄取りが出来ます。
それはまた今度。